米海兵隊の兵員輸送機「mv22オスプレイ」が沖縄に配備された。
オスプレイ配備問題は、日本の米軍基地問題に重要な一石を投じたことになる。
なぜ、同機の配備がこのような大問題化したかを、国民は十分に知らされなければならない。
この問題は「軍事力」の中身ではなく、眼には見えにくい日米の「抑止力」保持という戦略論にかかわる。
その前に「オスプレイ」の「武器」としての質の中味を考えておきたい。同機は元々、海兵隊の「強襲部隊」の展開を考慮したものである。開発にはベトナム戦争終結以来約半世紀の年月が必要であった。
敵地の弱点を突いて強襲艦に搭載されたオスプレイを使って「強襲部隊」を突如敵地送り込み一定地域を制覇するか、敵の主要地点を殲滅する目的を持たされる。
約25名の特殊部隊を搭乗させて強硬着陸する。こうした戦術は海兵隊の最も求められるところで、オスプレイは海兵隊が待ちかねていた。
その期待に添うべく航続距離は、現在配備されているCH46ヘリの3倍、空中給油すればさらに伸び、最高速度も最大953キロとなる。もし、沖縄に配備されれば、朝鮮半島をはじめ、中国南部へ対しての強力な抑止力となる。
◆尖閣列島を米軍は本当に守るのか
日米同盟では、尖閣列島で最悪の事態が発生した場合米軍は、日米同盟にしたがって「対応する」との合意が行われている。中国の海洋進出戦略に対して第7艦隊が強化されていると同時に、着上陸戦力としての沖縄の海兵隊は最早「戦略部隊」としての役割を持たされたことになる。
こうした戦略的兵器としてのオスプレイは、日米にとっては単なる「装備の変更」ではないと言える。
日本政府のオスプレイ配備への態度をみると「できるだけ早く運用を開始してほしい」との意図が見え見えだ。尖閣列島問題を抱え何もなすことなく米軍の「抑止力」に頼るほかない日本。
「抑止力」を頼んで「あれが厭だ、これなら良い」などと言える筋合いではないと云うのが日本の立場なのだ。
「軍事」は、本来「合理的」な判断で運用されるべきではあるが、他の「管理学」「統計学」とは違って、一定量の「損害量」を基本的計画の中に入れている。
「損害量」とは、人命の損失である。一般に攻撃部隊がその作戦を成功させるには20%の損失、つまり攻撃側の死傷者20%を根底にしている。
「絶対に安全である」と考えること自体が軍事にとっては虚構なのであって、オスプレイと言う極めて有効な武器を運するに当たっては日米ともに20%の損耗をはじいているはずだ。軍隊の目的は有効な兵器で敵を殲滅させるにある。その力を抑止力と言うほかない。
そうした説明を「合理的」にしろというのが反基地、反軍の立場なのだ。
オスプレイが「安全だ」「危険だ」との論争の前に、日本と言う国が自らを守る意思があるのか、また必要となれば戦うのかという「不条理」な軍事の理論を国民が行えるかどうかにかかっている。
こうした「軍事の理論」は、一世代、二世代の中で出来上がるものではない。
日本は「先の大戦」で多くの犠牲を払った。未だあの戦争を体験した人々がいる。その世代の「反戦」は当然なこと。
戦争の不条理さを語りつなぎ、なお「国家」と云うものを「善」として語るか。オスプレイの配備はそうした不条理の象徴でもある。
日米安保条約は昭和27年の講和条約と同時に国民にほおんどその内容が明らかにされずに調印された。
戦後史を省みればこの条約はソビエト連邦の軍事的圧力を感じ始めた西側の「日本取り込み」への第一歩だった。
当時、吉田内閣の外相を務めた池田氏と、その秘書役であった宮沢喜一元首相の「ワシントンへ密使」と言う証言集に「我々も中身は知らなかった」と言っている。
◆アメリカは32万人の陸上兵力を望んだ
吉田首相(当時)が池田、宮沢を特使としてワシントンに送ったのは「再軍備は無理だ」と言う日本の意思を伝えてこいと言う目的があった。
昭和25年5月に朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは日本に「治安部隊」の創設を命令した。
日本国内では「警察予備隊」と呼んで軍事色を薄める努力をしたが米国では明らかに「日本再軍備」論が広がっていた。
ワシントンでの「池田・ロバートソン会談」では米側は10個師団32万の陸軍の創設を望んだ。池田、ダレス会談、池田・ロバートソン会談で、日本は「経済復興の段階で軍事力の保持は困難」と言う実情を言い張った。
後にMSA条約と言われる「武器援助」協定はこの時に言いだされる。朝鮮戦争で空前の「経済復興」を遂げていた中で、その朝鮮戦争で余った武器を日本に与える目的があった。
考えて見れば吉田茂はよく頑張った。武器よりも「経済」を選択し、その路線は池田内閣にも繋がっていた。結局、日本は陸上兵力13万人の「保安隊」を持った。
このことは「日米安保」の骨格を決めることとなった。「アジア太平洋」「特に西太平洋」の安全保障を米軍に依存する国是を選んだ。米軍は日本独立後もソビエトに対する抑止力を日本国内に保持することとなった。
冷戦下で日本は「米軍」の傘の下で安逸をむさぼった。軍事力はGDPの1%以内であり、非核3原則は日本の「安全保障」の手足を縛った。
先の第2次世界大戦で日本は多くの戦没者を生んだ。300万人の悲惨な死を思えば再びあの悲劇を生んではならないと言う決意は固い。
その決意と、米軍の「抑止」に頼る精神構造とは必ずしも一致しない。だとすれば、今、日米安保の足かせからどのように逃れるかを考えなければならないだろう。 オスプレイの配備は単なる装備変更ではなく、日本の安全のあり方を問われる問題でもある。
アメリカにとって日本は「遠いい存在」になりつつある。安保条約を考える絶好の機会だ。