俄かに増えた「愛国者」に唖然!

                  内憂う外患至る

 

  ◆「内憂外患こもごもに至る」。時にして日本は最早や衰亡の一途をたどるかとも思わせるこの頃だ。政治家は自らの行動に恥をしらず、官吏はうごめき、企業家は利に走り止まることを知らない。

 防衛研究所第35期特別研修の時に元ドイツ国軍元帥フォン・デル・ゴルツが言った言葉を習いそれを思い出した。

◆「軍事的に弱体な国が強力な軍事力の国家に隣合わせると、戦争は避けられない」

 今時「戦争」などと言う危機的状況が起きるとは思わないが、国家と国家が対立している時、一方の国家が、敵の国家の弱点を見つければ、その弱点に全兵力を集中し圧倒殲滅することが出来る。

 尖閣列島、竹島、北方領土と、国境をめぐる日本と中国、韓国、ロシアの確執は詳細な分析が大切だ。

 日本はただ「固有の領土である」と声高に言い張っているが、太平洋戦争の敗戦は、この「固有の領土」をたとえ一時的でも「放棄」しなければならなかったのだ。

 北方領土では日本は「1945年8月15日にポツダム宣言を受諾し武装解除した」と言っているが、ロシア(当時ソビエト連邦」は、「ミズーリ号で降伏文書に署名した瞬間まで戦争状態は続いていた」と9月2日まで日本とは「戦争を続行中だった」と言っている。

 

 

              終戦は9月2日だった

◆8月15日から9月2日までの間に国後、エトロフ島では確かに戦争が行われていた。一方的なソビエト軍の攻撃だったが、日本軍は「自衛」のために応戦していた。「戦争で獲ったものは戦争で取り返す他ない」と言うのが古今の戦史である。戦争中の行為を「不法占拠だ」と言っても歴史は書き換えれれない。誠に残念な敗戦だった。竹島もしかり、敗戦の混乱の収まらない中で無防備の海に一方的に「李承晩ライン」を引き、「海洋主権宣言」を主張した。1952年のことである。1月のことである。この「李ライン」に入る日本漁船は悉く拿捕された。

◆同じ年の8月に「保安庁」設置。海上警備隊(後の海上警備隊)が発足している。この空白の中で韓国は竹島に警備部隊を配置した。勿論、日本は抗議したが、韓国は無視し、以後その状態が続いている。日本は前年の9月に「対日講和条約」(サンフランシスコ条約)で独立したが、時すでに遅し、竹島は不法にも武力によって占拠されたままだった。

 

             アメリカは何もしなかった

 

◆吉田茂首相は当時警察予備隊、保安隊を「戦力なき部隊」と表現していた。講和と同時に結ばれた「日米安保条約」は「不法な攻撃」に対しては日米が共同して対処する「集団的自衛権」を認めながらも、米国は李ライン、竹島不法占拠に対しても何もしなかった。在日米軍は「ソビエト」に向けての「抑止力」であって、我が国の弱点を補うつもりは毛頭なかったのである。今回の竹島問題についても米政府の反応は全くない。つまり「日本の力」を見守る態度で、オバマ政権はアジア問題に介入するつもりは全くない。

◆尖閣列島でも米軍の「抑止」は全く効いていない。尖閣列島は、米軍の沖縄占領と同時に「米軍施政下にある」ことが宣言されていた。それを証明するものとしては、尖閣諸島が「無人」であることを理由に米軍の空軍による「射爆場」として利用されていた。米国は返還前の沖縄には「日本に潜在主権がある」と言いながら、その「軍事基地化」を急いでいた。近年になって公文書で明らかになったが「沖縄返還時に基地の撤廃を考えてもいい」と言う基本的なスタンスがあった。朝鮮戦争の終結、中国の大躍進政策の失敗など、沖縄の戦略的不必要な時があった。日本はその機に「返還」にのみ気を取られて何もしなかった。サンフランシスコ条約では、日本領土を米軍占領下の沖縄を除き、北海道、本州、四国、九州とその付属する島嶼に限り、その他を「放棄」した。竹島は本土に付属する島嶼としたが、千島列島は「放棄」された。ただ、南クリル列島の「歯舞、色丹」諸島は「千島列島には含まない、と言う吉田首相の発言を黙認しただけであった。

 さらに沖縄返還時に「琉球列島」の一部である尖閣列島も含まれると言う形で「領土的支配」が認められた。

 

 

                 沖縄返還はまれなケース

◆ ソビエトはサンフランシスコ条約の調印を拒否しているので理屈では「千島列島」は「放棄した」だけで、どこの領土でもないと言うことになる。そうした、領土問題は過去の歴史を見ても「話し合い」で解決されたことはない。非核3原則の下で返還された沖縄は極めてまれな例と言っていいだろう。

 米国はベトナム戦争の行方や、中国の台頭を予測して西太平洋の安定的保持を目的に「基地」の自由使用を続けるために沖縄返還を実行したに過ぎない。

 いま、日本は民主党政権で外交能力が落ち、加えて経済的な弱体化、東日本大震災の復興、原発事故などのマイナス要件が重なって、過去最悪の「国力」となった。

 軍事的、戦略的「弱点」に、中国も韓国も「国力の集中」と軍事的圧力を強めている。尖閣列島、竹島の喪失は軍事的「縦深性」を無くしている。

 この時に当たって「日中友好」や「国際司法裁判所」への提訴など彼らからみればさらなる「弱点」の発見にほかならない。領土問題の存在を世界に示して何になるのか。米国は「抑止力」になりえず、オスプレイは岩国基地に放置されているばかりである。

◆そうした最悪の事態のなかで日本は何が出来るのか。中国が尖閣列島に武装進行する愚はすることはないだろう。この事態を利用するとすれば日米安保の改定、行政協定、地位協定の放棄など、顔をアメリカに向ける絶好の機会だろう。

 「抑止力は自らが持つ」と言う決意を世界に示すことだろう。核戦力を持つ中国に対して日本がたった13万人の陸上勢力を持って対抗することは夢物語に過ぎないが、問題は国民の「決意」を示すことではないか。フィリピンは、ベトナム戦争の終結時に米第7艦隊の主要基地だった「スベック基地」を撤退させた。米国はシーレインの確保でインド洋のデイゴガルシア島を基地化した。兵力の分散と集中に利便性のある配備にした。

 

                  沖縄に総合基地を

 

◆戦略的には沖縄の基地を海兵、空軍の統合基地化に踏み出すべきだ。普天間基地の撤廃は日本独自の「抑止力」の保持しかない。

 「戦力」は一朝一夕で出来ることではない。また、装備が良ければ必ず勝つとは限らない。このことは、米国のイラク戦争、アフガン進攻でも証明されたし、遠くはベトナム戦争でも強力な米軍60万人が、民族的大義のあるベトナム軍に一掃されている。

◆問題は、いつ、どのような条件の下で、日本が自ら「抑止力」をもてるかであろう。

 思い出すのは日中関係であの鄧小平が「今解決できない問題は次の世代に任せよう」と大平首相に語ったことである。

 300万に及ぶ犠牲者を出した太平洋戦争。米軍の無差別な爆撃。原子爆弾の投下による非劇を忘れてはならないことは言うまでもない。東京裁判で米軍の「弁護士」は「戦争での殺人は罪ではない。なぜなら戦争は合法的だからだ」と言った。彼はさらに「戦争での殺人を罰するなら、我々は原子爆弾を投下した者の名前を挙げることが出来る」と戦争の不条理さを語っている。

◆ 軍事力とはそうした不条理の世界なのである。尖閣列島、竹島問題は遡れば太平洋戦争に至る。いま、騒がしく「自衛隊を出せ、実力で排除せよ」などと息巻く人の多くは先の大戦の被害者でもある。

 「守るべき国」の創設を第一にし、決意を持った「戦力」の保持。そのためには米国の太平洋支配力に歯止めをかけることが重要だ。いまは静かに「国力」の充実を求めるのが重要だろう。

 戦争を知らない世代、平成生まれの世代に何を受け継ぐか。特にその役割を持った「団塊の世代」の無気力さが気にかかる。

 

 

 

 


What's New

我が家の正月

上の写真が、我が家の伝わっている「秘法」です。 曾祖父「角蔵」が口伝で父に伝えたものを書きうつしています。 江戸時代のどの家でも同じようなものがあったのだと思います。

 左・厄神 右・歳徳神

上の写真は、毎年12月28日に当主が作る神様の寄り代です。特に左の厄神様は半紙の切り方が難しい。何時もうまくいかない。今回はまずまずの出来。

「歳徳神」さまです。三が日だけ、神棚からおろして和室の一角にお出まし戴きます。雑煮、洗米、若水を供えて当主がお祈りします。